「私にとって分からないのは、なぜ皆が同じことをするのかということだ」
「『よかったですね きれいだったですね』と全員から評価を受けたとしますね。それはもう不安です。
そんなにわかりやすいものを作ったのかと自己嫌悪に陥ってしまう」
いずれも前衛的なデザインで知られる「COMME des GARÇONS(コム・デ・ギャルソン)」のデザイナー・川久保玲氏の言葉です。
私の学生時代は、夢や目標があるわけでもなく、「勝負にこだわったこと」もありませんでした。
振り返ると「無気力な青春時代だったな」と感じています。
川久保氏がデザインしたギャルソンの服を身に着けることで、
〝無気力な自分〟というコンプレックスを装おうと思っていたのかもしれません。
私は1982年、山口事務所の創設者である父・員義(かずよし)と、母・真由美の間に宮崎県延岡市で生まれました。
名前は政治家の故・安倍晋太郎氏(晋三・元首相の父)から、読みをいただいたたそうです。
その後、父の転勤で、鹿児島県(曽於市)、熊本市、八代市、宇土市…と移り住みました。
幼い記憶で最も印象に残っているのは平成元(1989)年4月1日。
消費税制度が始まったその日でした。
小学1年の私は、現在は熊本市民病院(熊本市東区)が建つ場所にあった公務員官舎に住んでいました。
健軍自衛隊通りでの花見を終えた夕方、公衆電話の前で自転車のサドルをいじっていました。
そこに中年男性が現れ、「10円やらんと殺すぞ」と迫ってきたのです。
消費税が始まったことで、公務員の子どもへの腹いせでしょうか。
エイプリルフールの冗談だったかもしれません(笑)。
振り返ってみると消費税が始まったその日から、〝税との深い縁〟があったのかもしれません。
そんな小学校時代。
「公文」に通って先取り学習をし、小学6年時点で中学3年の数学まで修了。
ほぼ努力することなく、成績はトップクラスでした。
各地を転々としながらも5年ほどは武道の少林拳も習っていました。
その後、鶴城中で卓球部、宇土高では弓道部に所属。
いずれも「勝ちたい」という気概はなく、弓道も「初段になれば、大学への内申書に書ける」という理由で取り組んでいました。
そんな中で、ファッションに夢中になり、早朝の新聞配達で貯めたお金を、洋服につぎ込んでいました。
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